あなたはわたしの罪のないことを知っておられる。 またあなたの手から救い出しうる者はない。
今見よ、わたしこそは彼である。 わたしのほかに神はない。 わたしは殺し、また生かし、 傷つけ、またいやす。 わたしの手から救い出しうるものはない。
あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように、生活をしたのである。
さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
わたしは今、彼女のみだらなことを その恋人たちの目の前にあらわす。 だれも彼女をわたしの手から救う者はない。
あなたがたがもし、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くときにひれ伏して、わたしが立てた像を、ただちに拝むならば、それでよろしい。しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」。
神を忘れる者よ、このことを思え。 さもないとわたしはあなたをかき裂く。 そのときだれも助ける者はないであろう。
あなたがわたしの心をためし、夜、わたしに臨み、 わたしを試みられても、わたしのうちに なんの悪い思いをも見いだされないでしょう。 わたしの口も罪を犯しません。
わが神、主よ、もしわたしがこの事を行ったならば、 もしわたしの手によこしまな事があるならば、
主は正しい者の道を知られる。 しかし、悪しき者の道は滅びる。
主はこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、 「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。
ああ、わたしに聞いてくれる者があればよいのだが、 (わたしのかきはんがここにある。どうか、全能者がわたしに答えられるように。) ああ、わたしの敵の書いた 告訴状があればよいのだが。
神が立ち上がられるとき、わたしはどうしようか、 神が尋ねられるとき、なんとお答えしようか。
(正しいはかりをもってわたしを量れ、 そうすれば神はわたしの潔白を知られるであろう。)
しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。 彼がわたしを試みられるとき、 わたしは金のように出て来るであろう。
「力ある者、神、主。力ある者、神、主。主は知ろしめす。イスラエルもまた知らなければならない。もしそれがそむくことであり、あるいは主に罪を犯すことであるならば、きょう、われわれをゆるさないでください。
見よ、彼が奪い去られるのに、 だれが彼をはばむことができるか。 だれが彼にむかって『あなたは何をするのか』と 言うことができるか。
わたしは罪がない、しかしわたしは自分を知らない。 わたしは自分の命をいとう。
皆同一である。それゆえ、わたしは言う、 『彼は罪のない者と、悪しき者とを 共に滅ぼされるのだ』と。
わたしがもし悪ければわたしはわざわいだ。 たといわたしが正しくても、 わたしは頭を上げることができない。 わたしは恥に満ち、悩みを見ているからだ。
あなたは言う、『わたしの教は正しい、 わたしは神の目に潔い』と。
見よ、わたしはすでにわたしの立ち場を言い並べた。 わたしは義とされることをみずから知っている。
それは彼を投げつけて、あわれむことなく、 彼はその力からのがれようと、もがく。
このようにヨブが自分の正しいことを主張したので、これら三人の者はヨブに答えるのをやめた。
あなたは言う、『わたしはいさぎよく、とがはない。 わたしは清く、不義はない。
あなたはなお、わたしに責任を負わそうとするのか。 あなたはわたしを非とし、 自分を是としようとするのか。
わたしの足は彼の歩みに堅く従った。 わたしは彼の道を守って離れなかった。
「わたしは神である、今より後もわたしは主である。 わが手から救い出しうる者はない。 わたしがおこなえば、 だれが、これをとどめることができよう」。
わたしはエフライムに対しては、ししのようになり、 ユダの家に対しては若きししのようになる。 わたしは、わたしこそ、かき裂いて去り、 かすめて行くが、だれも救う者はない。